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事に当たる

2011年11月13日 20:39

さて、本を読みました。


考えをまとめる・伝える 図解の技術 (日経文庫)考えをまとめる・伝える 図解の技術 (日経文庫)
(2011/06/16)
奥村 隆一

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論理的な文章が自動的に書ける!論理的な文章が自動的に書ける!
(2003/12/18)
倉島 保美

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一気に二冊。

どちらも、図解にしてものを考えるとわかりやすいですよ、とか、
論理的な文章を書くのはセンスではなく技術ですよ、のように、
当たり前といえば当たり前の内容。

論理的な文章…に関しては、一度読んでいる、はずのものです。
前回読んだ時は、全く響いていませんでした。
そらあたりまえやんな、程度にして流し読み。

でも、今回はとてもためになったな~と。
素直にいろいろ実践してみたいなと思えるものでした。


何が違うのか?というところ、
facebookでのコメントで適切な表現が。

それは、「当事者意識」の有無。

その人は教える側として、とても実感されているとのことです。
なるほど、という感じ。


結局、文字通り吸収係数のようなもので、

 (供給される知識・情報)×(吸収係数=当事者意識)

となっているのですな。
なので、勉強しても身につかないこともあるし、
短期間にしてはすごく伸びることもある。

仕事や勉強だけでなく、バスケとかのスポーツでもそう。
どこにでもあることです。
今やらなあかん、となると、わりとできるようになるもの。


なので、自分のパフォーマンスをあげるには、
地道な努力(供給)を上げることと同時に、
当事者意識(吸収係数)を上げる必要があると。

即効性ということだけ考えたら
意識を変えることの方がはやいですからね。


ただ、意識は簡単にかわるときもあれば、
最後まで変わらないこともあるなと。

気持ちの問題ながら、
意識改革をする仕組みみたいなものも
考えていきたいところですな~。

せざるを得ないという状況に
自分を追い込むしかないんですかねー。
がんばらんといけませんな。


…と、相変わらず当事者意識が薄いです。
だめだ!


増すための手段

2011年11月06日 15:00

『科学的方法とは何か』、感想続き。

経済のことも知らなあかんなという気持ちだけは
常にもっているのですが、なかなか機会がなく。

本来は、経営とかマーケティングとか、
いわゆるビジネス関係の本を読むべきなのでしょうが、
興味が湧くのは、どちらかというともう少し原理に近い所、
経済学とかそういう方。

で、最近ちょろっとは読むようになっていたのですが、
この本でも経済学者の話があり、なかなか興味深く読めました。


本の中で、そもそも経済学をすることのメリットは?
という質問がありました。

その問いに対する答えは、
「政策決定時にコンセンサスを得られやすい」でした。
要は、説得力が増す、ということ。


そうなんや、という感じ。

個人的には、経済学にも何か理論があって、
将来を導き出す、ということが最大のメリットなのかと思っていましたが。

実際は、矛盾するはずの理論は共存し、
反証可能、という科学の定義も骨抜きにできてしまうと。
自然科学と比べて、厳密さという点では弱いのだとか。


まぁ考えてみると当たり前ですね。
一意に予想できるのであれば、これだけ混迷はしないでしょうし。

まぁ、それでも、価値があるのでしょう。
ある程度でも予想に定量性を加えられるわけですし。
最近仕事でも、仮に人事的な報告書でも、
数値とかで表現するようよく言われますしねー。


我々として知っておかないといけないのは、
経済学てのはある政策、作戦について、
少し丁寧に考えたものやということを認識するということですな。

なので、与えられた説明は、あくまでも仮説で、
確定的な保証のようなものではないということですな。
それを選ぶには、何かしら決断が必要ということです。


このあたりの話の説明って専門用語が多いですからね。
ニュースとかをもう少しかみくだけるよう、
簡単な専門用語ぐらいは知っていきたいと思います。


使い分ける

2011年11月06日 14:22

mixiが見るたびにレイアウと変わっていってますな。
facebookチックになっているような。
リアルタイム性を増やすというアプローチ自体はええと思いますが、
ころころ変わるとちょっとわかりにくい。


さて、本を読みました。

科学的方法とは何か (中公新書)科学的方法とは何か (中公新書)
(1986/09)
浅田 彰、佐和 隆光 他

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哲学、経済学、数学、生命科学、サル学、の専門家5人が、
前半部はそれぞれの分野での近況報告、
後半部ではテーマを決めての対談をするという形式。

最近これだけ扱うものが異なるそれぞれの分野で、
興味を持たれていることがあります。

それは、全体を全体のまま扱う、という手法。
ちょっと前やと、複雑系というやつですかね。

要素を還元的に細かくしていって、
原因と結果の関係を細かく細かくしていき、
それらの積み重ねによって、どんな対象の運動、行動も記述できる、
というのが昔ながらの科学。

でも、そういうのだけではいろいろ扱い切れないことが多いですよ、
ということに最近気づいてきたのだとか。


たとえば初期値がほんの少し異なるだけで、
結果があまりにも大きくふらつく(近似が禁じられる)とか、
仮に全ての要素を考慮にいれるとすると、
膨大な計算量になり、現実的ではなくなるとか、
そういう実践的な観点で、という理由が多かったような。

ボールを投げたら落ちてくる、その軌道を知りたいとなったとき、
場の量子論は使わなくても多分大丈夫、とか、そういうことやと思います。


要は使い分けてことなのでしょうな。
より深く追求することも大切やと思いますが、
目的に応じて、方法を変えることが大事なのかと。

細かいところ含めちゃんと人に伝えたいとか備忘録としてであればmixiを、
その時思ったことに対してリアクションが欲しいだけならfacebookをつかう、
ということと同じ、なのだと、思います。


でもmixiでもリアクションも欲しい。


都市化

2011年10月25日 22:48

日経サイエンス 2011年 12月号 [雑誌]日経サイエンス 2011年 12月号 [雑誌]
(2011/10/25)
不明

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今月号の日経サイエンス、いろいろ面白い特集がありましたが、
都市の力、という特集が面白かったです。

ネットがこれだけ普及して、世界がこれだけ狭くなって、
どこに住もうがいっしょなんちゃうの?
というのもひとつの考え方ですが。

統計的なデータをみると、そうでもないようです。


一つは、エネルギーの利用効率という観点。

公共の交通機関など、共有してインフラを使うというところが、
エネルギーの利用効率として非常によいと。
なので、これからどんどんエネルギー問題が深刻になることを考えると、
これからも都市化の流れてのは変わらないのではとのことです。


もう一つは、イノベーションとか、そういう知的な生産性。

都市の方が、イノベーションと呼ばれる何かしら新しい発明・発想が
生まれる率が高まるのだそうです。
富の集中が起こることを考えると、
優秀な人が都市に集まるので、結果としてアウトプットも大きくなる、
というところなのでしょうが。


どうも、人と人の直接的なつながり、てのは、
やっぱり物事を進めていく上で、とても重要なようで。

記事の中にあった、いい言葉。

『人間に与えられた最も偉大な才能は、
 互いに学び合い、協力し、
 知力を総動員して問題解決を図る能力だ』

みておけヒヨッコ。これが、ミックスアップだ!
てところでしょうか。

直接対峙することで得られる機微とかは、
やっぱり今の技術では伝えきれないのですな。
これからの技術の発展で変わる可能性がない、
とは、技術に携わる人間としては言えませんが、
しばらくは直接会うことの重要性は変わらないでしょうな~。


実践的なところに落としこむと、

もう少しいろんな人と飲みにいきたいな、

てことです。

2011年10月23日 21:59

さて、本を読みました。

日本の弓術 (岩波文庫)日本の弓術 (岩波文庫)
(1982/10/16)
オイゲン ヘリゲル

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読んだのもだいぶ前になってしまった。
書くのも今月2回目。mixiが遠のいている…。
料理の写真を載せるだけでコメントがもらえる
facebookの手軽さに負けてしまっています。

本の内容は、ドイツ人が弓を体得するまでの話。
「心を無にすれば、自然と矢が放たれて的にあたってくれる」
という日本によくありがちな指導に、
論理的・合理的なドイツ人が
「ほな矢を誰がうつねん」という感じで取り組んでいく話。
でも最終的に、体得するというところまでいきます。

論理的・合理的、つまり、現代的とでもいうのでしょうか、
最近、ビジネスでもスポーツでも、唯一の正しいアプローチみたいになっています。

そういう人が、結局それだけでは先に進めない、と、
日本的な指導に対して、素直に受け入れるところが、
とても印象に残りました。

神秘主義を知るためには、自分が神秘主義者になるしかない、と。

謙虚というか、どこかに自分が足らないところがある、
というスタンスで、前に進もうというところが好印象。


グローバルコミュニケーション、という言葉が、
同じく現代的な考えとして、非常によく使われています。
相手を理解しないとだめですよと。

でも、こういうのがほんまのコミュニケーションなんちゃうかなと。
相手との違いを受け入れなさい、というだけでなく、
自分が相手の考え方に一部同化しないことには、
なかなか前には進めないのではないかなと思いました。


別にグローバルでなくてもそうやなと。
自分の立場で相手のことを考えても、なかなか話はすすみません。

文字にしてみると当たり前のことではあるものの、
普段なかなかできてないですな~。

と、改めて実感しました。

もう少し謙虚に周りの人と関わっていかんとあきませんな。


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2011年09月27日 10:02

さて、本を読み終えました。

ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫)ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫)
(2011/08/28)
塩野 七生

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1巻を読んでからなら丸4年、
ついに読破しました。感慨深いですね~。

感想もいろいろあり、書き留めておきたいですが、
まずは43巻の感想から。

内容としては既にローマ後。
西ローマ帝国が滅びたあとの
蛮族支配、東ローマ帝国の再支配、あたり。

意外なことがたくさんありました。

個人的には、西ローマ帝国崩壊後、
戦国時代的な群雄割拠な雰囲気になるのかと思っていました。
が、実際は治安なりが回復したと。
まぁ戦国時代も、安定しているところは
室町時代よりも安定していそうですが。

パクス・バルバリカ、蛮族による平和、と呼ばれる時期があったとのこと。
うまいこと蛮族が支配して、支配されている感ももたずに
しばらくは上手くいっていた時期があったということです。

一方、その後、東ローマ帝国が領土を回復しようとすると、
状況は一変。東ローマ帝国の支配の方が厳しかったり、
蛮族は裏切り者としてローマの人たちを扱ったり、
世界の首都であったローマが散々なことになります。


結局、古き良き栄光、というものは、決して戻らないのでしょう。

それはおそらく、周囲の環境などが全てそろってはじめて
時代の流れが形成できるからなのかと。

ある制度があったから、ある英雄がいたから、
栄光が得られるわけではなく、
そういったものが複雑にからみあうことで、
偶然にもそういうものが形作られるものなのではないでしょうか。


ローマの衰退と日本の衰退、重ね合わされることが多々ありました。
逆に、滅び行く国なんてどれもこんな感じなのかもとも思います。

古き良き栄光、日本もその状態になるようにもがいています。
家族や地域の人達が助けあい、節度を持ち、
勤勉さを売りにして世界の経済に大きな影響を与える、など
日本が良かった時代にむけて、「元に戻そう」としています。

でも、それは無理なんでしょう。
生活が豊かになることで助けあう必要もなくなり、
自己責任の名の下に自分の身は自分で守らなければならなくなり、
一方では周辺の国々がモーレツに働いて追い上げてきている中で、
はい昔どおり、にはならないですよね。

私は昔ながらの日本の雰囲気は好きですし、
そういうところに美意識は持っていると思いますが、
それを完全に戻すというのはちょっと違うんやなと。

そういう美意識のエッセンスになる部分だけは、
できれば維持しつつ、今の世界の状況に上手く対応できるよう、
この新しい変化に、
上手く乗っていく方法を考えないといけないんやろなと。

ローマの終焉後を見ていて思いましたとさ。

見とる

2011年09月23日 07:51

さて、本を読みました。

ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
(2011/08/28)
塩野 七生

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いよいよラスト、中巻なのに、滅びました。
ゴート族という蛮族にローマ皇帝が引退させられ、
その後とくに皇帝がでるわけでもなく、自然消滅的に。

天寿を全うした人を見るような気になりました。
よく生きたな、と。
波乱万丈ながら、しっかりと、着実に進んでいたような。
寂しい気持ちもありますが、
そういう意味で、納得性のあるものではありました。

大きな流れというものがあるのでしょうか、
個々人、個々の国々では抗えないような、
そういう目に見えない何か。
パラダイム、とも少し違いますが、そういうの。

確かに、ぐだった皇帝とか、
またそれがころころ変わるとか(現状を見るとあてはまりすぎて苦しいですが)、
そういう具体的に衰退した原因をつくった人たちはいます。

ただ、そういう傷を、昔は自然治癒的に癒せていたのに、
最後は自分では治すことができなかったと。

王政、共和制、元首政、専制君主制、と
大手術もしてきましたが、それも限界やったのでしょうねー。


大きな流れ、具体的なものとしては
ローマ時代はゲルマン民族の大移動でした。
その野蛮ながらも生命力あふれるところに、
ローマの人たちは抗しきれなかったと。

最近でいうと、facebookとmixiですかね。
私のまわりは急激に変わりつつあります。

確かに、いろんな面でfacebookよりもmixiの方が使いやすいと思います。
インフラという面では。

でも、facebookの方が、勢いがあると。
それはちょっとリアルタイム性が高いとか、実名とか、
ちょっとした違いでしかないのですが。
結局は、ユーザーがなんらかの変化がほしい、と
漠然と思っていたのではないかなどとも思います。


あとは、mixiのmixiたる所以の部分をやめてしまったところも、
ローマに似ているなと。
紹介制であったりとか足あとをやめてしまうところとか、
ローマが市民権をむやみに与えてしまったところと似ています。


このままローマのようにmixiも静かに死んでいくのですかねー。
個人的には残念なので、引き続きこちらでも書いていこうと思います。


すみのみ

2011年09月17日 23:39

さて、こんな展示を見てきました。

『帰ってきた江戸絵画 ニューオリンズ・ギッター・コレクション』

kaette.jpg


リニューアルオープンした京都文化博物館にて。
ギッターさんという人が日本の美術に惚れ込んで、
収集していったコレクションの展示。
アメリカ人が見た日本の美、というところです。

禅画をはじめとして、文人画、円山四条派、琳派、浮世絵、などなど、
典型的な日本美術ぽいものが多数。


やっぱり、水墨画ってすごいなと、いつも思います。

対象のエッセンス部分だけを抽出して、
それだけで、他の余分なものを全て捨てれるなんて、
すごいことですよね~。

さらには、一番強調したいところではなく、
その周囲に影をつけるだけで、それが浮かび上がってくるとか、
そういう手法も結構ありました。

一番書きたいものを書かないなんて!
大胆ですよね~。

いろいろあるとなんか安心してしまうにもかかわらず、
強調したいところだけしか書かず、
他のところに勇気を持ってスペースをつくるというのは、
バランス感覚が相当ないとできないことですよねー。

墨の濃淡だけでここまでできるんやなと、
ほんまにいつも感心してしまいます。


「純粋で、シンプルで、素朴な」美しさ、に
ギッターさんは惚れ込んだということで。

こういうセンスを持てることは日本人のすばらしいところやと思うので、
これからもこういうのをええなと思えるように、
磨いていきたいなと思いました。



2011年09月16日 23:09

さて、本を読みました。

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
(2011/08/28)
塩野 七生

商品詳細を見る


待ちわびていた最終章、ついに出版されました。
というわけで、早速。


キリスト教が国教になり、
ローマ帝国も東西に分裂、
いよいよ終焉を迎えます。

滅びる原因は、いろいろ。
その中の一つ、統治システムの老朽化、というところについて。

この頃、皇帝位はそれまでの、
民衆の第一人者という建前から、
神が与えた地位という建前にかわります。

神が与えた地位とすることにより、
より皇帝位を安定して絶対的なものにするというのが狙い。

それ自体、あってるとも間違っているとも言えません。
皇帝がころころ変わるという最悪の事態を避けるには必要です。


ただ、やはり弊害もあるわけで。

皇帝がぐだってしまったり、
その周囲がその周囲のみの論理で行動したり、
というところが出てきてしまいます。

最後のローマ人、と呼ばれたスティリコという人物が
全体を見通して行動しているところに、
皇帝や官僚が、自分の狭い周辺での地位や利益を得るために、
邪魔をし、最後には殺してしまいます。


こういうのを見てると、人間て成長してないなと。
私の周りでもそんなことばっか。

結局、システムが古くなると、
ルールの生んだコンセプトはなくなって、
ルールのみが固定化されてしまうのですかね。
実際に能力のある人ではなくて、
そのルールをうまくこなせる人だけが上にいける、
すこし歪な状態になってしまうと。

そして、ルールをこなせるだけのちっちゃい人間のやることが、
ほんまに大きなことをする人間の邪魔をできてしまう、
というところが、老いたシステムの悪いところになるのではないですかねー。
…私の周りの話?


やはり、古いものはメンテが必要ということですね。
家で言うと、リノベーションてやつですな。

結局昔は、カエサル、アウグストゥスのときに、
システムを上手くリノベーションしたのでしょう。

古いものの良い部分は残しつつ、
新しい状況に適したものを構築しないといけないと。
共和制から帝政への上手なシフトができたことで、
さらに数百年生き延びれたというところなんでしょうなー。


その後も何度か改築をしようとはしたものの、
お金無かったり、傷みがひどすぎて、
もうどうしようもない、というのがこの本の頃のローマ。
いよいよ終焉。


引き続き読んで行こうと思います。

長くなってしまった。

リテラシー

2011年09月06日 22:10

さて、本を読みました。

経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)
(2005/12)
大竹 文雄

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ここで言うセンス、リテラシーという言葉に意味的には近いものです。
何かを考える時、ある体系的を考えのベースにするというか。

例えば、どこからかボールが飛んできたときに、
バスケットボーラーはミートして両手でキャッチすることを考え(さらに両足で着地する)、
物理屋さんはその落下軌道から重力の大きさを考え、
だじゃれ好きは「ものがボールだけに、急やな~」などと言ってみたりする、
というアレです。ナニだ?


その経済学版。

いい男は結婚しているのか?
なぜ私の給料は低いのか?
成果主義ってほんまに効果があるのか?

などの日頃のちょっとしたテーマを、
経済学的な切り口で考えたらどうなるか、という内容。


経済学的なというと難しますが、
要は、金銭的に損か得か、というところだけ考えるということです。
これを「金銭的インセンティブ」といいます。

例えば、日本の終身雇用制について、わりとメリットも多い、と。

たとえば若い時には生産性以下の給料を支払、
年をとると生産性以上の給料を払うという形になっているとします。
(実際にそうなっている場合が多い)
そして、真面目に働かなければ途中でクビにしますよ、と約束します。

となると、若いうちは損を積み重ねているので、
年をとるまで働き続けないといけない、
しかもクビにならないように真面目に働かなあかん、
と、雇用される側は思うはず。

一方、生産性に対応した給料の場合、
いつやめても損はしないので、より得になる可能性があるなら
いつやめてもよい、と、雇用される側は考えるはず。

さらには、任期制と終身雇用制で同じ給料だった場合、
当然リスクをとらない被雇用者は、終身雇用を選ぶはず。
なので、同じ人件費なら必ず任期制の方が高くつくはずなのではと。


実際はこんな単純ではないのでしょうが、
切り口がシンプルなだけに、そこから導かれる結論には
ある程度の納得性がありました。

そして、それでいいのだと言っています。

人間は感情で動くときもあるし、合理的に動けるわけでもない、
だから完璧に行動を予測することは不可能なのはあたりまえ。

ただ、金銭で動くことも当然多いので、
その切り口で考えることができれば、
大きく離れない結論を導き出せるのではないか、ということでした。


…長い上に、いまいち面白さを伝えられませんでしたが、
具体例が多いので、非常にわかりやすいです。
個人的にも普段こういう考え方あんまりしないので、新鮮でした。
Facebookにも書きましたが、最近では一番。

興味のある方はぜひ~。





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