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臨死体験

2008年04月19日 18:43

科学、というものの定義の一つとして、
最も疑えるもの、というのがあると思います。

反証可能性というやつですな。
絶対に正しいということはない、というのが科学のスタンスであると。
逆に、絶対に間違っている、というのも科学的スタンスではないわけです。

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臨死体験、という言葉だけで、我々は多少オカルチックなものを想像します。
それが死後の世界を垣間見ている、となるとなおさら。

でも、それで臨死体験そのものを全否定するのは、
結局全肯定することと何も差がないのでは、というところから始まります。

俗に臨死体験と呼ばれる体験は、現実問題としてあると。
で、それにどういう説明、モデルを提示できるのかとなります。
大きく二つにわかれ、
 ①その体験は、現実に体験した事である
 ②その体験は、脳が見せているイメージである
というようにわかれます。

体験談が多く、①と②をふらふらふらふらするので、
なかなか長いですが、興味のあることばかり。
こういうことをフィルターなしに見るてのは、なかなか凄いと思います。
でも、河合隼雄も司馬遼太郎も、立花隆も、みんなそうですもんねぇ。
さすがです。


結局、脳内イメージモデルで、かなりのことは説明ができます。
ただ、科学のやっかいなところは、
そうであったという結果をいくら並べても正しいとはならないところでして。
そうでない、という結果ならばいっぱつなのですが。

そういうわけで、現実体験説も可能性をもっているわけです。

こういう事に関する実験、
これや!という結果がなぜかでないそうですよ。
①にも②にもとれる結果しか、なぜかでないそうです。
そういうこともオカルチックに解釈する人いそうですが。


読んでいると、非常にいろいろなことを考えさせられます。
脳内イメージやったとしても、なぜそのパターンになるのかとか、
新たに疑問が湧きそうですし。きりがないですな。

ふーむ。
少し知識を得たせいで、よけいにわからなくなりますね。
どうなのでしょう。


死に対する恐怖は興味にもつながるわけですが。
私の場合は、存在消滅に対する恐怖が大きいようです。
離別とか苦痛とかは、ある程度想像できますが、
想像ができないし、よけいにこわいのかも。

まぁこのあたりの表現、立花隆の言葉はほんまにしっくりきます。
キリスト教というバックボーンがあるからなのでしょうか。
単に作品をよく読んでいて、影響をうけているからでしょうか。
漠然と思っていることがほんまにうまく受肉されているような。


発散してますので、終わりましょう。


人生ということを考えると、どうしてもその終わりまで考えます。
終わり方は重要ですし。
生き方に影響しますしね。


ミクシーということを考えるときも、その終わりまで考えます。
終わり方は重要です。

コメントに影響します。


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