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可逆とか不可逆とか

2005年09月13日 00:46

今回の選挙は、小泉劇場に尽きると。
テレビで言ってました。

まぁ確かに、一人でこれだけの人間に影響を与えるのですから。
よいのか悪いのか知りませんが、単純にすごい。
悪くないことを祈ります。真剣に不安です。
私がテレビでみた限りでは、そんな熱狂できるようなものではなかったので。

その反面、若者の思考力・批判精神などが低下していると。
テレビで言ってました。

でも、熱狂する方は必ずしも若者ではないかと。
ペさんに熱狂するおばちゃんとか。
なんにせよ、日本全体の知的レベルは低下しているような気はします。
たくさんの情報=知識豊富、とはならないというか。
まぁ、世の中に情報はあるようで、ないのかもしれません。

マスコミに流される人が多すぎるようです。
テレビで言ってました。

視覚に与えるイメージは、こんなにも強烈なものなのですね。
サブリミナル効果でもあるのかもしれませんね。


今日はあまりいいことがなかったので、日記はやめましょう。
原付のパンク、
無線LANの設定がなぜかできない、
帰りの電車で酔っ払いに思いっきりぶつかられる、
AFMとりなおし、
などなど。

でも、まだ可逆です。
やりなおせるはず。
半年間ほとんど何もしていないこと自体は不可逆ですが。


本は読んでます。
『脳を鍛える』は読みました。また感想も書きそうです。

その後、『夏草の賦』上下巻を読みました。
戦国時代、四国を統一した、長宗我部元親の話。

これは、少し毛色が他の司馬っちの作品とは違います。

司馬作品は、その人の一番輝いていたときを重点的に書き、
その晩年などはほとんど書きません。

例えば、『坂の上の雲』の秋山好古、真之兄弟、
『新説 太閤記』の豊臣秀吉など。
竜馬や、『国盗り物語』の明智光秀とかは、死ぬまでがドラマ的でありますが。それはそれで面白いし、むしろ涙をさそいます。

でも、この作品の場合は、元親の弱い部分も結構書いているのですよね。
四国統一はしたものの、秀吉に負けを認めた後とか。

ドラマ、小説としてみるなら、そういう部分はみたくないですね。

でも、その分リアリティがあるというか。
なんというか、余計に感情移入してしまうところがあります。
英雄には挫折はないかという幻想があるかもしれませんが、
それはやはり嘘で、そういう挫折などがありながら、
それでもなお、輝きをもてる人が英雄というのではないですかね。

この辺、私の文章力が足りなく、表現しきれてませんが。

なんにせよ、英雄とよばれるような人には、何かしらあるのです。
それを見たり知ったりしたときに、我々凡人は、一種のさわやかさを覚えるのですかね。
司馬遼太郎の考える英雄は、さわやかさを持っています。
司馬作品は、日本人として生まれたからには、一度は読むべきでは。
この、さわやかさ、は日本人にしかわからんのではないですかね。

私もこういう人になりたいです。



…可逆とか不可逆とかで書こうと思ったら、全然違ってしまった。
やはり、だめだめです(これは自虐)。
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コメント

  1. yuji | URL | bZfbELo2

    前半部分、マスコミに流されずに自分の頭で考えようという主旨のエントリーなのに
    『テレビで言ってました。 』という言葉が3回もでてくるのはなんかの皮肉なんだろうか?と気になって夜も寝れません。

    偶然?それともわざと?
    わざとならその真意は?

  2. tama | URL | qTlQTaRY

    可逆というなら戦争を繰り返すのも可逆なのかな。
    それはまた違うか。
    なにかの周期性にしたがっているような気はしますが。
    この選挙の争点は郵政民営化だとはとても思えないのですが、
    それはアタシだけなんかしら。

  3. のざき | URL | VVHQ8TqM

    選挙の争点が一つだけとか、そういうことはないでしょう。
    それやったら、9条を守るというためだけで、共産党や社民党とかでもええですしねぇ。
    9条やら靖国やらは全然話にならへんかったけど、小泉さんはどうするのでしょうね。


    さて、『テレビで言ってました』は当然故意です。
    さすがにこれをまじめにいってたらあほですし。

    その真意ですが、不条理小説とかいうのがありまして。
    それは、明らかにおかしいことを、
    それが当然やというように書くことで、
    読み手に不安感などをいだかせるというものです。
    たしか。
    皮肉、よりはもう少しいろんな感情があるのかしら。

    そんなんの真似をしてみようと。

    「この人は自分で考えろといっていながら、
    テレビで言われたことをリピートしてるぞ」

    「全然自分の考えではないではないか(違和感)」

    「…まてよ、では自分が今考えていることは果たして本当に自分の考えなのか?」

    「どこかで見たり聞いたりした思想ではないのか?」

    などと、あえて逆のことを書くことで、読み手が考えることを誘起するわけです。

    ま、あとづけですが。

    そもそも、
    「思想が純粋に自分から発生しただけの人」
    なんて当然いないですから。
    おそらく孔子やブッダでもそうでしょう。
    多かれ少なかれ、環境などに左右されるのですよ、きっと。
    われわれに許されているのはむしろそれを選択するところにあるのではないですかね。言いすぎかもしれませんが。

    マスコミで言われていることを、
    すべて正しいと鵜呑みにするところが問題なのでしょうねぇ。

    これで今夜は快眠かしら?
    言葉足らずな部分は許していただくとして。

    しかし、あまり深く考えないで言ったことに説明をつけると、
    なんやらボケて、「それはどこがおもしろいん?」と質問されてるような、そんな恥ずかしい気持ちになります。

    もっと深い思考ができるようになりたい!

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