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久々でした

2007年05月31日 20:14

今日の研修はえらくのんびりしておりました。
来週は少し配属先にて何かしらしていくようですが、
嵐の前の静けさという感じなのでしょうか。

今日は、今週初の休肝日。
車系で何かしらできるチャンスです。
とりあえずは立ち読みですかね!


さて、本を読みました。
王の挽歌〈上巻〉 王の挽歌〈上巻〉
遠藤 周作 (1995/12)
新潮社

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王の挽歌〈下巻〉 王の挽歌〈下巻〉
遠藤 周作 (1995/12)
新潮社

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久々の遠藤周作。
でも、歴史小説は初めてにちかいような。
『侍』ぐらいですかね、他には。

主人公は大友宗麟です。いわゆるキリシタン大名というものです。

教科書的には、キリシタン大名という一文か、
ええとこで南蛮貿易のためにやってたとか、その程度。

「日本ではキリスト教は根づかないのではないか」
「あつくもなくつめたくもなく、ただ生ぬるい」
など、遠藤周作的なキーワードはたくさんあるのですが、
ちゃんとした歴史小説で、めちゃはいりこんでしまいました。


非常に、よくわかります。

あいかわらずのだめクリスチャンですが、
それだからこそ、
大友宗麟や遠藤周作の悩みがよくわかります。

キリスト教を心底信じられる人へのあこがれと
そこにいたらない自分への自己嫌悪、
自分への暗い自信とその一方での自己否定、
などなど、自分が一番わからんという状態へどんどんいってしまう感じ。


一度会ったフランシスコ・ザビエルに大友宗麟は何かしらの痕跡を残され、
その姿がキリストと重なり、大きく宗麟に影響します。

大友宗麟はザビエルに対して憧れをいだいていたという話ですが、
遠藤周作は大友宗麟に対して憧れをいだいているのかもしれません。

宗麟は神道の権力をバックに持つ妻を離縁し、
「そのことに何の後悔をもしなかった」のですが、
遠藤周作はその妻の弱々しい面をそこで書いています。
そこが、宗麟と遠藤周作のその時点での境目であったような。

その後、後悔がないために宗麟はキリスト教へとはいっていき安息を得るのですが、
遠藤周作自身ははまだそのように捨てられないと感じたのではないですかねー。

世俗への愛情と宗教的な安息が果たして矛盾するのかしないのか。
難しいところです。


万人にむけて薦めるような本ではないと思いますが、
今までの人生でどっかでキリスト教に触れた人には、
何かしらの痕跡が残っているはずで、
そういう人には何かインパクトを改めて与えるものとなるかもしれません。

長くなってしまった。
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