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寝てはならぬ

2006年10月26日 04:25

単調作業も眠気で非常に効率が悪くなってきました。
基本的に夜には弱いです。
集中力がみるからに落ちてきました。

今やっている実験は1時間おきにX線測定を行うというもの。

合間で少し作業するのですが、そのときにデバイスが死ぬのです。
まだうまくいきません。
最低限ここまではしたいというのはあるのですが、
そこまでいくのかどうか。

そういうわけで、あと数時間は寝れません。
多分寝ますが。
完徹できる人の気が知れません。


寝る、ということにときに違和感を覚えることがあります。
特に、電車や学校で仮眠的に寝た前後。

寝て起きた瞬間、そこにいる私は寝る前のものと完全に同一なのかどうか、
そういうことを考えたりします。
違和感という言葉だけではだめなのですが、文章力ないですからね。
おきる前後が完全に変化ないていうのは、
そんなに確たることではないのではないですかね。

科学的には睡眠は非常に重要で、
人間のストレス発散になったりもしているようです。
夢をみることで、欲求をある程度発散できるとか。
外部情報をシャットする事で思考を整理するというのもありますし。
動画の情報量が多いことを考えると、それは納得できますな。

ただ、そういうのでなくて、
自分の睡眠だけ別ってのは完全にない話ではないと思うのですよ。
物理の理論もあくまで過渡的な状態で、
安定と思っているものもローカルミニマム的なものかもしれません。
物理法則が永遠に一定というのは信念でしかないですからねぇ。


『99.9%は仮説』にも載っていたのですが、
「宇宙ができてから数十億年たったということが事実であり、
自分はその時間軸の上で生まれた」
ということと、
「宇宙ができてから数十億年たったということが事実であり、
自分はその時間軸の上で生まれた
という記憶をもっているだけで、実は5秒前に生まれた」
ということに現時点では差はないのです。
私が今記憶していることが全て私が実際に経験した事かどうかも、
絶対にそうやというわけではないのです。

私がずっとかわらず私であるということは
いったいどういうことなのでしょうねぇ。
細胞は数年ぐらいしたら全て変わってしまうし、
脳細胞もそれ単独ではあまり意味をもちません。
結構仏教のいうところの全ては縁、
つまり相互作用的なものというのは真理かもしれませんな。

デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉、
確かにアプローチの仕方の斬新さとか演繹的な思考法とか、
ほんまにすごいことやと思うのですが、
われ思う、という一番あやふやなものを核としているところがあやふやです。


さて、話も発散したところで、
少し寝てみようと思います。
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