延長線
基本的に、私は写真が好きなようです。
撮る事も、見る事も。
撮る方。
別に技術をつけようなどとは思いませんが、
ある瞬間をある構図でとろうとする行為がよいように思います。
何気なく過ぎるものを、意識的にみるいい機会なのではと。
見る方。
奇抜なものもたまにはよいと思いますし、決定的瞬間もあるかと思います。
ただ、純粋に私の見たことのないものが写っていることだけで面白いのです。
友人の結婚式でも、壮大な自然の風景でも、SEM像でも、
見たことのないものを見ることは何かしらの興奮です。
そういうわけで、シンプルな写真展というものは結構好きなようです。
学校から5時ごろ抜け出して、O阪まで行ってきました。
とみぃやケノービさんにあうなど、行きも結構ついてましたね。
『星野道夫展 ―星のような物語―』

「星野」と「星の」はかかっているのやと思っています。
プロフィール等は公式サイトにあるようです。
とりあえず、よかったです。
いつもどおりぐだった人もいて、携帯でしゃべる人もいるしずっとしゃべる人もいるし、
かわいい〜という感想を大声で言う人もいるし、
少しかわいそうになりました。
ま、確かにかわいかったのですがね。
アザラシとか、シロクマとか、ムースとか、フクロウとか。
やばかった。
こういう感動をしたときに、自分の表現力のなさが悔しく思います。
多分、相当感動していたと思います。
人は見方がかわったときに、大きく感動するものやと思うのですよ。
今まで理解できていなかったものの意味がわかるとか、
ずっとわからなかったことが解明されるとか、
友達と思っていた女友達のちょっと女性的な仕草とか、
そういう、普段と違ったものを見たときに、きっと感動するのです。
そういうわけで、習慣的な生活てのは何より感動がないのでしょう。
写真達は、いろいろな見方を提供してくれました。
一つは、視点的なもの。
私は最近デスクワークにしろ、実験にしろ、ゲームにしろバスケにしろ、
基本的に手の届く範囲の視点ばかりになっています。
そういうところで、ものすごく近くのものをみたり、
ものすごく遠くのものをみたり、そういうことができていないのです。
写真は、空を見上げたり、高台から平原を見下ろしたり、
動物の表情がわかるまで接近したり、ふと足元の植物に目をとめたり、
そういう普段することを忘れている視点を提供してくれました。
もう一つは、空間的なもの。
家と桂、バスケをしてもええとこ堅田までしか私の生活圏は広がっていません。
でも、この写真に写っている画像は今現在、
私の触れている時間空間の延長線上にあるのです。
そのことはあたりまえなのですが、そのことにあらためて驚きます。
人生とは信じることだ、と今読んでいる本に書いてありました。
結局、人生に意味があると信じる人には意味があり、
意味がないと信じる人には意味がないのです。
我々のいるこの宇宙空間は、偶然かもしれませんし、何かしらの意味があるのかもしれません。
ただ、これらの写真をみていると、
これらが偶然と考えるにはあまりにももったいなくて、
きっと意味がある、と思えてならないのですよ。

まぁ、基本的には感動しいなのですが、今回もまたよかったです。
大阪のは月曜で終わりますが、また京都でもやるかもしれません。
またご都合よろしければ。
撮る事も、見る事も。
撮る方。
別に技術をつけようなどとは思いませんが、
ある瞬間をある構図でとろうとする行為がよいように思います。
何気なく過ぎるものを、意識的にみるいい機会なのではと。
見る方。
奇抜なものもたまにはよいと思いますし、決定的瞬間もあるかと思います。
ただ、純粋に私の見たことのないものが写っていることだけで面白いのです。
友人の結婚式でも、壮大な自然の風景でも、SEM像でも、
見たことのないものを見ることは何かしらの興奮です。
そういうわけで、シンプルな写真展というものは結構好きなようです。
学校から5時ごろ抜け出して、O阪まで行ってきました。
とみぃやケノービさんにあうなど、行きも結構ついてましたね。
『星野道夫展 ―星のような物語―』

「星野」と「星の」はかかっているのやと思っています。
プロフィール等は公式サイトにあるようです。
とりあえず、よかったです。
いつもどおりぐだった人もいて、携帯でしゃべる人もいるしずっとしゃべる人もいるし、
かわいい〜という感想を大声で言う人もいるし、
少しかわいそうになりました。
ま、確かにかわいかったのですがね。
アザラシとか、シロクマとか、ムースとか、フクロウとか。
やばかった。
こういう感動をしたときに、自分の表現力のなさが悔しく思います。
多分、相当感動していたと思います。
人は見方がかわったときに、大きく感動するものやと思うのですよ。
今まで理解できていなかったものの意味がわかるとか、
ずっとわからなかったことが解明されるとか、
友達と思っていた女友達のちょっと女性的な仕草とか、
そういう、普段と違ったものを見たときに、きっと感動するのです。
そういうわけで、習慣的な生活てのは何より感動がないのでしょう。
写真達は、いろいろな見方を提供してくれました。
一つは、視点的なもの。
私は最近デスクワークにしろ、実験にしろ、ゲームにしろバスケにしろ、
基本的に手の届く範囲の視点ばかりになっています。
そういうところで、ものすごく近くのものをみたり、
ものすごく遠くのものをみたり、そういうことができていないのです。
写真は、空を見上げたり、高台から平原を見下ろしたり、
動物の表情がわかるまで接近したり、ふと足元の植物に目をとめたり、
そういう普段することを忘れている視点を提供してくれました。
もう一つは、空間的なもの。
家と桂、バスケをしてもええとこ堅田までしか私の生活圏は広がっていません。
でも、この写真に写っている画像は今現在、
私の触れている時間空間の延長線上にあるのです。
そのことはあたりまえなのですが、そのことにあらためて驚きます。
人生とは信じることだ、と今読んでいる本に書いてありました。
結局、人生に意味があると信じる人には意味があり、
意味がないと信じる人には意味がないのです。
我々のいるこの宇宙空間は、偶然かもしれませんし、何かしらの意味があるのかもしれません。
ただ、これらの写真をみていると、
これらが偶然と考えるにはあまりにももったいなくて、
きっと意味がある、と思えてならないのですよ。

まぁ、基本的には感動しいなのですが、今回もまたよかったです。
大阪のは月曜で終わりますが、また京都でもやるかもしれません。
またご都合よろしければ。
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