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思い出す

2006年07月20日 18:40

昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀

まずは、この時期に、という感じですな。
何かしらの政治的な臭いは感じます。
どうなっているのやら。

で、mixiで多少いろんな人の意見をみていたのですが、
なかなか影響はあるようですね。かなり書いています。

嘘やと全否定するような意見はないようです。
参拝否定派は、天皇もいうてるし、そらあかんわといってますし、
肯定派は、でもC国とかK国のいいなりになったようで嫌やといってました。

まぁ、このメモがほんまなら、
自分のために死んだ人をまいることすらしたくなるほど、
大きいことやったようですなぁ。
天皇のためという論理はなりたたんくなるのですかね。

しかし、理屈をこねていく人が感情的になるのはどうかと思います。


一方で、こんなのも。

ES細胞研究への助成 米大統領、初の拒否権発動へ

まぁ、難しいところでしょう。
今生きている人に、それしか回復の見込みがない手段を使わないということが、
殺人にあたるかどうかは微妙です。
それしかない、と判断できるかどうか。
相手を殺すしか自分を守る手段がない、と判断できるかどうかと似てますか。

そして、その唯一の手段が受精卵という、
生命か生命の元かを使わないといけないとか。

どれが正しいとかって、結局いえないのではないですかね。


そんなことを考えていると、やはり生命に対する考え方は、
理屈とかはぬいてしまうのやろなと思いました。
科学的に死を定義しても、それを自分のものとできる人は、少ないのかも。


昨日の飲みで、また一人訃報を聞きました。

一つ上の野球部の先輩です。
名前を言われて、ぼんやり顔がでてくるかぐらいです。
むこうはこっちを知らないような気がします。

交通事故だそうで。

死者も我々がまったく忘れてしまうまで、本当に死んだのではない。



死の一つの副産物として、別れがあります。
ほとんどの人間は、それをものすごく嫌うのですよ。

死者を弔うということは、一方では生きている者のためでもあるわけで。
自分もこのように、皆に折に触れて思い出してもらえるのですよ、
という安心感を得るというのがあるのではないでしょうか。


私の同世代でも、交通事故でなくなった友人がいます。
その子は女バスで、めちゃくちゃからむということもなかったですが、
大学にはいってからもときどき電車などであっていました。

それが、おととしの今頃ですかね、いきなりでした。

結局、事故で、顔を見ることができなかったので、
実感が湧いていないというのもあるかもしれません。
でも、ものすごく悲しかったです。
ほんまに、まだ、もったいないと思うのです。


で、まぁ自分がされて喜ぶことでもあるので、
一年に一度はちゃんと思い出そうかなと。
去年は確か、同窓会の準備をしているときでした。

別に何かの儀式が必要なわけではなくて、ただ、思い出すだけです。

それでも、多分自分がされれば嬉しいやろなと思いますし。


自分が死んだ後、思い出してくれる人が少しでも増えるように、
これからも友人は大切にしていかんとなと思います。


というわけで、少なくとも、Y国参拝について議論している人で、
祀られる人たちのためやという論理はものすごく嫌いです。
まぁわからないですけど、自分のことを思ってくれる時点で、
それがどこかとかは特に関係ないんちゃうかと。

自分がしたいことの根拠を死者に求めるのは、ちょっとずるい気がするのですよ。
まぁ、私も勝手に心境を想像してますし、冒涜してるんですがね。
トートロジーです。
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