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きのう

2006年07月14日 16:37

CM:だじゃれ・韻
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K都では祇園祭やし、多少厳しかったのですかね。
さて、深夜2時に、猫背で、老けた、覇気のない私の姿は、
つゆあけの夜、私を捕まえた人たちにどううつったのでしょう。

きっと、
らくをすることしか知らないやつと思われたのでしょう。
いきることは、楽を求めることです。




今日は、ゼミやらインストラクションやらで多少がんばりました。
その後ミクシィで、下火になりつつあるジダンの話について、
そのコミュニティを見てました。
荒れているトピックもあるようです。


荒れているトピックにいるやっかいな人は、大体、二分されるようです。

一つは、完全肯定型。

ジダンが好きなんやったら、それでええやんというスタンス。
基本的にコミュニティの意義てこの辺にあると思うので、
別にかまへんと思います。

でも、完全すぎるものは、少し怖いですね。
ジダンを否定する意見を全く聞こうともしないですし。
肯定する意見すら聞いてない気がします。

変化を嫌って外界との接触を断つのは、少し怖いですな。


もう一つは、批判型。
とりあえず、前の人の言葉を逐一否定する感じです。
これは、ほんまに微妙。

完全な論理というものはないように思います。
結構世の中にあることって、相対するものの両方に理があることてありますし。

なのに、こういう人たちは、カウンターパートを完全に否定します。
そういう意味では、先述の完全肯定する人といっしょですな。
自分の意見以外は、絶対に排除する感じ。

あげ足をとりさえすれば、相手のコメントを全否定することはできますし。
そうやって相手を0にしてしまうのがよくないのですよねぇ。

0から生まれる結論は0ですし、なかなか。発展はなさそうです。

しかも、局所的に論理は成立しますからね。それもやっかい。
ロジカルシンキングって、あくまでツールですからね。
論理は必要ですが、それのみでええのではありません。


帰納法も演繹法も、それ以降もまだいろいろな考え方があるということは、
それらになにかしら不十分な要素があるからでしょう。

両方を併用しないと、より高次な意見はでてこないように思います。


脳みその本をしょうこりもなくまた読んでいるのですが、
全体を把握する機能と、個体を把握する機能は別物だそうです。
それを最終的にミックスして、認識にいたるわけです。
どちらかに障害があると、認識は破綻してしまいます。


全体をまず完全に決めきってしまって、細かいところに全く目もくれないのも、
言葉のあやをいつまでもつっこんで、全体の議論をできないのも、
どちらも破綻が生じているように思うのですが、どうなのでしょうね。


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