人と地球が偉大すぎです
昨日は蒸着×2までは予定通りやったのですが、
その後なぜか学校で飲んでしまいました。
M重研ではそういうことがたびたびあります。ええのか悪いのか。
そんな中、AFMの待ち時間で読み終えました。
昨日はAFMの話も結構きけたので、非常によかったです。
電気系図書室にあった本です。
科学は自然を説明するためにでてきたものなので、
その説明に自然観が伴うのは当然なのかもしれませんが。
チャレンジングな本のように思います。
理論がいきなりでてくるわけではなく、自然観があり、
そこから信念がうまれるところを説明しようとしています。
例えば、厳密に理論が自然とあう、ということはそれ程自明ではなくて、
その確信には数学的美しさや神の絶対性があるとか。
EPRパラドックス、人間原理、ゲージ理論、
ゲーデルの不完全性定理、変換に対する不変が普遍性につながる、など。
なんやぼんやりきいたことのある言葉はいっぱいでてきました。
内容は豊富です。
ただ、読み手をどこにあわせているのかわかりません。
「いわゆる」や「よく知られている」という言葉が頻出し、
それらはことごとく私は知りません。
私からみると論理の飛躍があったり断定が多かったりします。
分野の違う論文を読んでいるようで、どこが重要かわかりにくいです。
なんかうまいこと言ってる雰囲気をだしてくるにもかかわらず、
それがどううまいのかわからんとかもあります。
…私のブログといっしょですか?
ただ、試みとしては重要やと思うのですよ。
いきなり理論をわたされても、それが何を意味するかはわからないのですよ。
「数学は言語である」そうです。
そして、「自然は数学という言語で記述されている」のだそうです。
これは、最近とても納得できるように思います。
ただ、私はその語学力は全くありませんが。だめだ!
何かを表現しているわけですし、数学は、言語なのですよ。
楽譜もきっと、言語としてみている人もいるはずやし、
プログラミング言語も人工的やけどそれでしか表現できないことがあります。
数学はその中でも、とてつもなく論理的な言語です。
科学は、この言語を通して、自然を読む行為というわけです。
読むのであれば、なんか、読んでみようという気にさせられますな。
どんな作品でも、やはり原語で読むのが一番いいでしょうし。
あー、数学、もっとちゃんとやっておけばよかったです。
そして、こんな読みにくいものを人間は数千年かけて読んでいるのですよね。
アインシュタインの言葉に、
まさにその通り。すごいですよ。
それを知る人間も、この世界も。
読み方は、言語を勉強し、翻訳してみて、
それがあかんかったら、ちょっと変えたり大きく変えたりするのです。
現状がなにかおかしいから、変えてみるのですよ。
これは別に自然を読むときだけではないはずです。
我々の生活、だいたいあっているようにも思うのですが、
どこかおかしいと思うことがあります。
友達思いの人間は他人なら生き埋めにしてもええのやろかとか、
自分が利益をだすためなら人を簡単に裏切ってもええのやろかとか、
牛肉を輸入せんのなら報復に全てに関税をかけてもええのやろかとか、
何かおかしいように思います。
ほなら、何かしら新しい考え方、理屈が必要になるのではないですかね。
この本である必要はないように思いますが、
科学と自然観、世界観との関わりを少し考える機会はあってもええかもしれません。
ちなみに、今日は午後からM下電器の内々定者懇親会です。
仲良くなるのやろか、
ミクシィやってへんの?とかあるんちゃうやろか、
この文章見られるんちゃうやろか、
見られて長いとしか感想もたれへんのちゃうやろか、
そもそも誰とも仲良くならへんのちゃうやろか、
などと心配事は絶えません。
小心者です。
その後なぜか学校で飲んでしまいました。
M重研ではそういうことがたびたびあります。ええのか悪いのか。
そんな中、AFMの待ち時間で読み終えました。
昨日はAFMの話も結構きけたので、非常によかったです。
![]() | 科学は「自然」をどう語ってきたか―物理学の論理と自然観 菅野 礼司 (1999/06) ミネルヴァ書房 この商品の詳細を見る |
電気系図書室にあった本です。
科学は自然を説明するためにでてきたものなので、
その説明に自然観が伴うのは当然なのかもしれませんが。
チャレンジングな本のように思います。
理論がいきなりでてくるわけではなく、自然観があり、
そこから信念がうまれるところを説明しようとしています。
例えば、厳密に理論が自然とあう、ということはそれ程自明ではなくて、
その確信には数学的美しさや神の絶対性があるとか。
EPRパラドックス、人間原理、ゲージ理論、
ゲーデルの不完全性定理、変換に対する不変が普遍性につながる、など。
なんやぼんやりきいたことのある言葉はいっぱいでてきました。
内容は豊富です。
ただ、読み手をどこにあわせているのかわかりません。
「いわゆる」や「よく知られている」という言葉が頻出し、
それらはことごとく私は知りません。
私からみると論理の飛躍があったり断定が多かったりします。
分野の違う論文を読んでいるようで、どこが重要かわかりにくいです。
なんかうまいこと言ってる雰囲気をだしてくるにもかかわらず、
それがどううまいのかわからんとかもあります。
…私のブログといっしょですか?
ただ、試みとしては重要やと思うのですよ。
いきなり理論をわたされても、それが何を意味するかはわからないのですよ。
「数学は言語である」そうです。
そして、「自然は数学という言語で記述されている」のだそうです。
これは、最近とても納得できるように思います。
ただ、私はその語学力は全くありませんが。だめだ!
何かを表現しているわけですし、数学は、言語なのですよ。
楽譜もきっと、言語としてみている人もいるはずやし、
プログラミング言語も人工的やけどそれでしか表現できないことがあります。
数学はその中でも、とてつもなく論理的な言語です。
科学は、この言語を通して、自然を読む行為というわけです。
読むのであれば、なんか、読んでみようという気にさせられますな。
どんな作品でも、やはり原語で読むのが一番いいでしょうし。
あー、数学、もっとちゃんとやっておけばよかったです。
そして、こんな読みにくいものを人間は数千年かけて読んでいるのですよね。
アインシュタインの言葉に、
という言葉があるそうです。「もっとも不思議なことは、自然を人間が理解できるということだ」
まさにその通り。すごいですよ。
それを知る人間も、この世界も。
読み方は、言語を勉強し、翻訳してみて、
それがあかんかったら、ちょっと変えたり大きく変えたりするのです。
現状がなにかおかしいから、変えてみるのですよ。
これは別に自然を読むときだけではないはずです。
我々の生活、だいたいあっているようにも思うのですが、
どこかおかしいと思うことがあります。
友達思いの人間は他人なら生き埋めにしてもええのやろかとか、
自分が利益をだすためなら人を簡単に裏切ってもええのやろかとか、
牛肉を輸入せんのなら報復に全てに関税をかけてもええのやろかとか、
何かおかしいように思います。
ほなら、何かしら新しい考え方、理屈が必要になるのではないですかね。
この本である必要はないように思いますが、
科学と自然観、世界観との関わりを少し考える機会はあってもええかもしれません。
ちなみに、今日は午後からM下電器の内々定者懇親会です。
仲良くなるのやろか、
ミクシィやってへんの?とかあるんちゃうやろか、
この文章見られるんちゃうやろか、
見られて長いとしか感想もたれへんのちゃうやろか、
そもそも誰とも仲良くならへんのちゃうやろか、
などと心配事は絶えません。
小心者です。
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