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変人ズフォーザベター

2006年06月25日 15:46

教会での昼休み、いすに座りぼけーっとしていました。
両足をそろえて、まっすぐ伸ばしているような感じで。

すると、子供が足にしがみついてきました。

「このすべりだいで遊ぼっ」

すべりだい?私の足はすべりだいやそうです。
そして、すべりだいでした。
普通にのぼってきて、すべっていました。

思ったよりも私はでかいようです。


さて今、科学史とそれに伴う自然観の変化について書かれた本を読んでいます。

美術史、科学史、思想史、宗教史などなど、歴史は面白いです。
コンテクストがあってはじめて何かは意味をもつように思いますし。

そういう意味で、友人の日記を読むことは面白いのかもしれません。
それがその人を形成する文脈となっていることに、興味をもちます。
結論だけでは面白くないので、そこにいたるプロセスを知りたいものです。

ただ、それはおそらく私が思っているだけで、
文脈をつくろうと思うとこのブログみたいにやたら長くなってしまうのです。


アリストテレスやユークリッドなどからニュートンへ、
ニュートンからアインシュタインやシュレディンガーへ。

科学は何度かパラダイムシフトを起こしています。

ただ、実際はある日突然発見して変わると言うものではありません。
きっかけはあるでしょうが、実際は地道なデータの積み重ねがあって、
はじめてシフトするに値する結論となるのです。

そのデータを集めているときのモチベーションは何なのでしょう。

一つには、
現状の理論では説明できないことがあるので、それを説明したい、
というのがあるようです。

それは、現状の自然の理解をいきなり転換するのではなくて、
はじめは漸進的な試みからはじまるのですよ。
それで、どうしても大きく変えないといけなくなって、
はじめて理論に大きな転換があるのです。


自分の意見というものを持つ時もそれは大事かと思います。
いきなり思いついた考えも、それは従来のものと比べてどう違うか、
何が従来のものであかんのか、大きく転換する根拠は何か、など、
そういう比較と漸進が必要なのかななどと思います。

漸進と言う行為には、対話が必要なのやと思います。
自分の考えの他との違いを知ったり、自分では思いつかないものを思いついたり、
議論ていうのは、そういう意味で非常に重要に思います。


偉大な科学者たちは、一人では存在していたわけではありません。
デカルトとニュートンとか、アインシュタインとボーアとか、
どの世代にもライバルなり論客はいるのですよ。

ただ、それらの人々のモチベーションは、よりよい自然の理解、
何かわからないものに対する説明、という点で共通しています。

天才は変人と紙一重かと思いますが、それらの人々がよりよいものを求める時、
また面白いことがでてくるのでしょうかね。


私も多少変わっています。えらくぶ厚い紙ですが。
いろいろな人と話をして、漸進していけるとよいなと、心から思います。
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