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こんどーちびだ

2006年05月13日 12:02

昨日R館3Fでコピーをとっていたところ職員の人(男性)がきて、
コピーがもう少しかかることを知り、去っていきました。

その次にきたのはH材料研の美人秘書さん。
「さっき職員さんに、コピー機のところに男前がいるってきいたんですけど…?」
と、不思議そうな顔をされました。

∴私は男前ではない


さて、そんなことにもめげず、すぽっくさんに借りた
『ダ・ヴィンチ・コード』を読みました。
CIMG3049.jpg

おとつい中巻、昨日下巻と、あっさり読んでしまいました。

なかなかおもしろい。
実際思い返してみると、いわくつきの場所をめぐるだけの旅なのですが、
いやはや、なかなか。知らんことも多かったです。

幾何学は、どんな文明でもかなり神聖視されていますね。
ピタゴラス学派てのは、かなり宗教的なところがあったようですし、
あるいは、陰陽道てのも、そうとう幾何学がでてきます。
たしか、京都の街は幾何学的にみると、完全にできあがってるとかなんとか。
舟岡山を頂点に、正五角形に内接しているとか。
京都て、相当面白い土地やと思いますよ。


もう一つは、私に読むことを勧めてくる人は結構、
キリスト教徒から見てどうなのかというのを思って薦めてくれているようです。

そういう視点から、どう思ったか。
確かに、福音書についての話とかは、かなり思わされるところがあります。
死海文書とかもそうですし、最近ではユダの福音書というものも。
今は、宗教がどんどん変わっていく時期でしょう。
おそらく、何かを経れば経るほど、ずれは生じます。
主観の入った伝言ゲームみたいなもので。

中世のキリスト教会は、ほんまにひどかったようです。
日本の仏教も、やはり私利私欲なところがありましたが、
さらにそれに絶大な権力があったわけですから。そらひどくなります。
そういう中で、いろいろなあらはあるのだと思います。
まぁこの本は、そういう風に生まれたものを全否定していないところが思慮深く思います。

あとは、他の宗教との融合ですが、それも当然あります。
例えば三位一体(最近ではむやみやたらに使われていますが…)について、
あれはケルト民族の伝統的な考え方でもあったようです。
インドの方でも、あまり違和感がない考え方なようですが。
日本でも、仏教なのか道教なのか神道なのか、よくわからん神様がいますが、
どうしてもそこに先入観があると、わかるイメージからはいるのですよね。
キリスト教伝来当初も、おそらく西洋人の言うことと、
その当時の日本人がイメージしたことは相当違ったそうです。

そのような中で、では何が正しいのかという話になるわけです。

そうなると、なかなか。
おそらく、相当量をそぎ落とさないといけなくなると思います。
でも、火のないところに煙はたたないわけで、そこには何かしらの事実があるのですよ。
たぶん。
神話とか、結構完全なフィクションに捉えられているところが多いですが、
実際はそんなことはありません。
何かしらの事実があって、その解釈として神話があるわけです。

それは自然現象であるかもしれませんし、ある戦争であったかもしれません。
でも、ほとんどの神話は、なんらかの事実に基づいている。

どんどんそぎ落とす部分と、でも最終的には何かしらを残すというスタンスが必要なのでは。
まぁ、難しいんですけどね。


話がそれていますかね。


以降ネタバレになるかもしれませんが、あとはちょっと思ったことを。

なんとなく新鮮やったのは、
主人公たちと、O・Dの人たちの行動です。

普通は、二つの一見関係ないように見える二つは、最後に一つになります。
でも、この話は、中盤に交わって、その後別の展開をみせています。
これって、かなり独特なのでは。

考えすぎなのかもしれませんが、主人公達の乗っているストーリーと
O・Dの人たちの乗っているストーリーをそれぞれ直線と捉えると、
あたかもそれが交差しているように思わされました。

二つの直線の、交差。

これは、なんとなく、十字架をイメージしているのではないかなぁと。

どうなんでしょうね。考えすぎですかね。
そして、長くなりすぎましたね。

あぁ、ちなみにタイトルはアナグラムです。
こんどー君はちびではありません。いや、ほんまに。
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