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逃避は楽しい

2006年02月14日 01:07

今日は見方が少し変わった日でした。
あくまで、少しですが。

昼に少し、他大学のMEMSをやっている研究室のHPとかをみてました。
レベルが高い。
そもそも、よく考えると、私はまだMEMSまでいっていないのです。
これは謙虚なのではなく、テーマ的に。
目標としては掲げていますが、修論までにはちょい厳しいですな。

そう考えると、見る範囲が広がった気がします。
MEMSをやっているといわれると、
それだけで企業を注目してしまっていましたし。
そこまで固執するところでもないのかもしれません。

まぁ、MEMSというコンセプトは非常に興味深いし、
先もあると思っているので、注目はしていくと思いますが。


夜は夜で、就職や博士に対する、少し違った視点の話とかを聞けましたし。
よかったのではないですかね。


実験せえよという話ですね。
まぁ、今日は初めてSiと石英ガラスがくっついたので、よいとしましょう。
汚いし、どこまでくっついているか微妙ではあるのですが。


さて、以上のように実験にぐだると逃避をするわけですが、
今日は上のようなのに加え、行き帰りにやたら待ち時間があったので、
本を読みおえてしまいまいした。

『人はなんで生きるか』
neko7.gif

また、トルストイです。
今月はトルストイ月間になりうりますね。
『復活』を読むか、別のを読むか…。難しいところですが。

この作品は、民話です。
まぁ、伝承をトルストイがある程度アレンジしているわけで。
そういう背景やからかもしれませんが、かなりシンプル。

こないだ知的認識が必要といったばかりではあるのですが、
トルストイは全く逆で、普遍的なものは平易で、簡素であるべきやと。

でも、知的認識は要求しているのではないですかね。
知的認識と言うと偉そうですが、
何かを感じるには、大抵の場合、精神的に準備が必要であるというだけです。

実験のことで感銘をうけるなら、実験のことを考えなくてはなりませんし、
宗教のことで感銘をうけるなら、宗教のことを考えなくてはなりません。
恋愛も、ビジネスも、何事もそれに対して考えておくことが必要であるのでは。

ただ、トルストイはもう少し宗教的でした。
そんなことを考えていなくても、神は我々を守ってくれると。
そういう確信をもっているようでした。


まぁ、宗教的であってもなくても、
民話から得るところはあると思うのです。

我々を動かす、シンプルな原理をどこに求めるのかという話ですな。

隣人と助けあうとか、悪行に悪行を返さないとか、
形式的な善行ではなく心からの善行をするとか。

きれいごとですな。

でも、きれいごとを求めて、何がわるいのでしょう。
失望しないために、きれいごとは実現するわけがないとしてしまうのですかね。

なんか、最近すさんでる感じがしてきました。

隣人をたすけようとすると干渉になり、
悪行はほっておけばどんどん悪化し、
善行をすると裏をとられてしまう、
とか、なんともさみしいわけです。

あとは、すこしずれるかもしれませんが、
調和を軽視してでも主張をしなくてはならん風潮は苦手です。

まぁ、きれいごとなんですけどね。
あるいは、古い考えとでもいうのでしょうか。


でも、まぁ、そういうのを追っていく人がいてもええのかなと。
もうちょいは、多少きれいごとを追ってもええかなと。
そんな気にさせられました。
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