FC2ブログ

微分値

2006年01月28日 11:36

コミュニティに登録するのはなんとなく嫌やったのですが、
これはある意味自己紹介なのやなということで、登録してみました。

窒化ガリウム・MEMS・有機エレクトロニクス
ヘーゲル・スピンムーブ

です。あとは、もともとはいってた電電電。

司馬遼太郎とか、高校や中学、小学校とかは、
まだ恥ずかしいので参加していません。
いずれはするかもしれませんな。

あと、めちゃひさしぶりにGREEをみてみたら、
少し知り合い(あるいは知り)がいました。
それだけですが。


さてさて、就職活動をするにあたり、いろいろなことをだらだら考えています。
そろそろ具体的に考えないといけないのですが。

しかし、根本のところが確定しないのです。

仕事をするということは、それ自体が自己実現とかの目的をもつこともありますが、
一応は、生きていくための手段です。

では、なぜ生きるのか、とか、人生とは何か、とか
人生の目的は何か、とか、そういうような漠然としたことを考えます。

というか、みんな考えているのですよね。
人生観もなくて、その場で決めれるほど就職て小さいものではないはず。
ただ、人生観を確立するというのは難しいです。
むしろできひんのではないですかね。

こういうことを考えるのは人間だけやそうですが、
そもそもこれは暇やからなのではないですかね。
忙しいときにそんなことは考えないような。


前置きが長くなりました。多角的にアプローチできているようです。


で、生きる目的の一つに、幸福をめざすというのがあります。

では、幸福とはなにか。あるいは、どういうときに幸福を感じるか。

私がブログをはじめてすぐぐらいにもこんなことを書きました。
そのときは好奇心を満たすことは、幸福を感じる手段の一つではとか書いた気が。

最近ふと思ったことなのですが、微分値で考えればよいのではと。

J.S.ミルでしたっけ。
「最大多数の最大幸福」とかいって、
幸福を数値化し、その最大値をとるように幸福を分配すればよいとかいってた人。

まぁ、それに代表されるように、我々は普段、
特に他人の幸福を判断するときに、その状態で判断します。

例えば、

実験で結果が出る…1000ウレシイ
彼女ができる…5000ウレシイ
おいしいものを食べる…0141ウレシイ
時計を見るとぞろ目…777ウレシイ
茶柱がたつ…30ウレシイ
血液型選手権で1位…3ウレシイ

とか。

やし、お金持ちは無条件に幸せなのではないかというような誤解がでてるわけです。


言いたいのは、変化の割合、つまり微分値が幸福に関係するのではと。
式で表すと、

∂U/∂t = S ∝ H


とかなのですよ。
ここでUは上で示したウレシイという単位。いわば状態を表す値。
tは時間。Sはその時間変化の大きさを与える値、微分値です。
で、そのSが幸せを与える、Hに比例すると。

こんな感じ。

ただ、どの値も個人差があるし、どの値も場合によって違うので、
こんな簡単な式にはなりませんが。
そもそも、こういうのをオカルチックな数学というのですかね。


まぁ、こんな感じで微分値で考えると、意外と説明がつくのですよ。

例えば、

実験で結果がでること、が幸福なのではなく、
ずっと出なかった状態があってようやく出ることが、幸福なのです。
結果が出続けることは、それは実験ではなくて作業ですし。

おいしいものを食べるから幸福なのではなく、
普段あまりええものを食べていないのにおいしいものを食べるから、幸福なのです。
毎日おいしいものを食べたら、それは普通のものになるはず。

努力をするということは、苦しい状態からの成功、
ということがまさに微分値の増大につながっているのです。
しんどければしんどいほど、正孔の喜びは大きいはずです。


では、もうちょいごりってみて、どうやれば継続的に幸福であるか、
ということをこじつけてみましょうか。


継続的に幸福であるためには、継続的に何かU値が増大するようにすればよいのです。
(継続的な成長というのは、破綻が生じることもあるようですが。)
意外と継続的な増大があるような現象は少ないのですよね。

これを満たすのが、好奇心なのではないかと思います。
好奇心により得られるものは、知識。
知識は、原則減ることはないはずです。
忘却はありますが、それは見えないだけで。
何かを学び続けることは、常に微分値が正であるということです。

これは、一つの解になるのではないですかね。
世にある知識は、我々に与えられている時間のオーダーからみると明らかに大きいです。
つまり、好奇心を一生持つことができれば、それは幸福であるということです。


もう一つは、正弦波的に幸福を得るというのも。

苦労や努力という行為はある意味、無理矢理に状態を下げているのです。
なので、意識的に状態を下げ、その後にある成功で幸福を感じられる。
こうすると、U値がそれほど大きくなくても、幸福を感じられます。

逆に、そういう苦しいことから逃れ続けるような人は、
どうやってU値をかせぐのでしょうかね。
あるいは、Sの値をめちゃ小さくするか、どちらかです。


変化に幸福があるなら、停滞に幸福はありません。いいすぎかしら。

天国というものがあるとして、そこにはこれ以上はない幸福があるそうです。
式から見ると、U値が無限か、Sが限りなく0に近いか、時間が止まるか、そんな感じですな。
ありうるのでしょうか。

今読んでいる『ユートピア』はそんな本。
いわゆる理想郷ははたして理想郷なのか、という話です。たぶん。

逆に地獄というものも、究極の不幸、苦しみというのはどういうものなのか。
わかりませんな。

カミュは『異邦人』で、耐えられない習慣はない、とかいうようなことを言ってました。
習慣、ということはある意味変化がないということです。
そこには幸福もなければ不幸もないのではないでしょうかね。

継続的に増大しないと幸福でないというのも、また一つの苦しみですな。
そこから逃れることに幸福があるのかもしれません。


また、長くなりました。
このブログも、向上がなくてはいけないのですよね。がんばらなくては。
スポンサーサイト





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://nozaki.blog15.fc2.com/tb.php/251-8dd980f9
    この記事へのトラックバック