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長い夜なので③

2005年11月17日 06:28

さすがに少し眠くなってきました。

夜はいろいろと考えます。
キャンプファイヤーの炎をみて何かを考えたり、
線香花火の炎をみて何かを考えたりしますが、
私は電子線で熱せられたAuをみて、いろいろ考えました。


夜を怖がるのは、海外から入ってきているようですね。
平安時代の人間は、浄闇とか言ったそうですし。


まぁ、何かについて深く考えることは必要です。
それには夜が向いているのかも。
多少ネガティブになるのは否めませんが。


人生とはなんなのでしょう。

我々は幸か不幸か今現在この世に生存し、
そして幸か不幸か死んでいきます。

この間を人生というわけですが。

そもそもどう生きるか、と考えることが選択の一つなのかもしれません。
いわゆる生物はほとんどが本能に従って生きているわけですし。
そういや、生物と非生物の境界もあやふやですね。
世界はどんどん解明されているようにみえて、
どんどん複雑になっているようです。

まぁとりあえず、どう生きるかを考えるという選択をしましょう。

ちょいと前から、実存主義という考え方が結構主流になっているように思います。
完全に理解は表面的なもので、間違っていたら教えていただきたいのですが、
私のイメージとしては、自分の生きる目的は自分で決めるしかない、という考え方かと。
なんやいろいろ考える前に、自分が今そこにいることをもっと重要視せえよ、
というようなものでしょうか。

あたりまえぽいかもしれませんが、
それまでは教会であったり国家であったりが目的を与えてくれていわけです。
それが、実存主義の登場で変わってしまったのですかね。

プラトン以降、理想的なものがまずはじめにある、という形式をとっていたと。
それを与えるのが教会であり国家であったわけです。
それが最近になって変わってしまったのですかね。

プラトンと同時期に、ソフィストは「人間は万物の尺度である」と言っていたような。
それで、教科書的には、この人たちはいいかげんですねみたいなことを言われていたような。

2000年たつと、逆になるのでしょうかね。


話が発散しています。

どう生きるかを考えると、何か目標をもって、それに向かうという選択肢がまずでてきます。

これは欲求としては、本能などに対してかなり後に発達する部分だそうな。
自己実現の欲求というやつです。

これも、自己がうんぬんかんぬんというもの。

究極的には人生は自己満足なのかもしれません。
いかにそれを修飾するか、なのですかね。

神のためか、世界のためか、愛する人のためか、
金のためか、子供のためか、宇宙のためか。


私はそうでないと思いたいです。
おそらく私は神様を信じているし、他人のために何か役立つことをしてみたいとも思っています。
今のところですがね。追い込まれたときにどうなるか。


何が言いたいのでしょう。完全に独り言です。

あぁ、夜もあけたようです。

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