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おわり

2010年10月27日 23:41

昨日の本は「世界の終わり」そのものの話でしたが、
こちらでもいろんな形での終わりが紹介されていました。

日経サイエンス 2010年 12月号日経サイエンス 2010年 12月号
(2010/10/25)
不明

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日経サイエンスの12月号。
「終わり」を科学する、というテーマです。

終わりにもいろいろあると思いますが、
多角的に、いろんな終わりを考えたもの。

トピックとしては、
  ・時間そのものの終わり(宇宙物理学の観点から)
  ・人間が死体になるとき(臓器移植の観点から)
  ・人間が土に還るまで(法医学の観点から)
  ・文化が終わるとき(文化人類学の観点から)
などなど。
あとは、世界の滅亡はほんまにあるのか?とかも。
今はテレビでマヤの予言で世界は終わると言っています。

そして、科学は終わらない、という終わり方。

例えば死は、自分にとっても、残念ながら、避けては通れない話なので、
考えないといけないことなのですが。
基本的に自分に起こること、として考えてしまうと、
やはり恐怖やら不安などの直接的な感情が湧いてしまうので、
こういう風に客観的に考えることができるのはええことなのかもですね。

そもそも時間というものもどこかで終わるやろという話です。
単方向性、継続性など、そういうものが徐々に失われ、
いずれはなくなるだろうと。

完全な定常状態は、静止と全く同じということなのでしょうが、
イメージはできないですねー。

ただ、こういうことを完全でないにせよイメージしている
自分がいる、ということが何より不思議なものです。

科学がいろんなことを明らかにしていく中で、
意識というのはニセモノだという説もあるようですが、
そのあたりはもう少しシンプルに、直感的にでもええような気もします。


最近オチを考える時間がないせいで、
終わりがいつもすっきりしません。
こちらも何かしら科学的アプローチで解決したいところです。


おわり

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