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人間と人間たち

2009年08月10日 21:39

土日に家具、家電を買いにいきました。
家電購入なんてそうとう久しぶりなのですが、楽しすぎました。
中耳炎だろうがなんだろうが、楽しいです。
まとめ買いでなかなか安く必要なものをそろえられたような。

次はぜいたく品ですね。
オーディオ関連をどこまで整えるかですか。
今日は半日ネットをみていました。
BOSE、買ってしまおかな。


さて、まったく関係ありませんが、本を読みました。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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単純に生命観についての話であれば、前回の『動的平衡』の方が面白いかもしれません。
研究者の人となりとかそういう業界の話などはこちらの方が読みやすいですかね。

この人の文章はすごくいいと思います。
なんとでも解釈できそうなあいまいさはないですし、
修飾のためだけの単語も少ないと思います。
でも、それでいて生命の神秘とか畏敬の念とか、
そういう単純に理系の論文などからは伝わりにくい内容をちゃんと伝えているような。
すばらしいことと思います。


さて、生命の話。

動的平衡的な生命観では、生命をある流れの中にあるちょっとした澱みというか、
たまり場というか、そういうようなものとしてみています。
川とか池とかそういう感じですかね。

それを形成する個々は常に変化し続けるが、
全体としては何か一つのものとして一体感があるというような。
そういうものとしてみています。

で、そういう維持する力は何かというと、決してオカルティックなものではなく、
タンパク質の持つ相補性という性質が大きな部分を占めているのではと。
パズルのピースのようなもので、
隣り合うものがわかればそれが必然的に決まるというような性質です。
これがあるおかげで、全体としての一体感、
ひとつのものが抜けても、それを補うものが新たに加わると。


ただし、こういうものは。場合によって悪い方向へいくこともあるようです。

何か一つパズルのピースに異常があった場合。
ほとんどの場合はそれが取り除かれることで解決するのですが、
まれに、その異常にひきずられて隣のピースも異常になり、
それが連鎖して、破綻が生じてしまうことがあるようです。
プリオンと呼ばれるものがそういうものかもしれないのだそうな。

まるまる全体がないよりも、
ある一つのちょっとした異常の方がはるかに大きな破綻になることがあるということです。


人間にあてはまることは人間にもあてはまるようです。

昨日ひさびさにテレビを見ていると、時期的にも戦争の特集をしていました。
なぜ開戦しなくてはならなかったのか、ということに対する、
軍の偉い人の回顧記録のテープをベースにしたもの。N○Kです。

そのころの日本には、少なくとも独裁者はいなかったはずです。
そういう外乱のようなものは仮にあっても排除されていたはず。

そんな中で、なぜ戦争はおきたのか。
縦割りのセクショナリズム、問題を隠蔽する体質、
ムードに流され言う件をいえない空気、責任の曖昧さ、
それらが原因なのではないかと結論づけていました。

結局、これも相補性というか、
ほんの小さな異常が大きな破綻をにつながった例なのでしょう。

ちょっとした間違いが連鎖して、それを直すことができないまま、
全体が何か異常な状態になってしまったというか。
大きなダメージや変化にはそれを元に戻そうという力が働くのに対して、
小さなダメージはそれを引きずってしまってしまったというか。


結論づけたあと、N○Kの人はこうも言っていました。
このことは、現代の社会が抱える問題そのものであると。

自分自身のことについて考えてみても、
明らかに内向きな仕事、反対しにくい雰囲気、多々あります。

これが壊滅的なことにならないよう、
もっと広い視野でものごとを見ていきたいなと思いました。



相当話がずれてしまいました。
これもまた、小さなずれが大きなずれにつながる例…かもしれません。


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