ナノはナノ
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重複を恐れず、ここで簡単に筆者の感想を述べたい。
人間性というものが人間の行動にとって非常に重要なもので、
嘉兵衛の人間性が魅力あるものであると感じていることは既に触れた。
また、誤解をおそれずに言えば嘉兵衛と筆者には共通点が多く、
今は全く愚人である筆者も一つの飛躍でなんとかなるのではないかという、
かすかな希望についても既に触れた。
だが、人間性についてもう少し触れなければならない。
最後の二巻についても、人間性という軸は存在する。
ただ、対象となる人物が異なる。ロシア人である。
大きな組織・集団間において、
意志の疎通というものが元来困難なものであることは証明を必要としない。
この物語における日本とロシアについてもそうである。
その複雑な背景のなかで、嘉兵衛はロシア人に拘束され、ロシアにゆく。
その後、問題の解決を見るまで、
それを推進する力となったものが、人間性である。
以下、叙述が前後する。
筆者は、今回読んだ二冊(『菜の花の沖(五)』、『同(六)』) の中で
嘉兵衛が連れ去られる際に全ての船員がついていくことを懇願するシーンと、
船上での最後の夜をリコルドと過ごすシーン、
そして、最後の別れのシーンが好きである。
人にはその瞬間のために生きているという瞬間が存在し、
嘉兵衛の場合それは全て人とのつながりとして存在している。
このように、ある瞬間ある人といっしょにいることが全てとなるような、
そのような瞬間に筆者も出会いたいと思っているというのは言いすぎであろうか。
ところで、この物語では、
人間性の尊重に対比する形で権力の非人間性についても書かれている。
例えばアイヌ人に対する松前藩などが、そうである。
権力という魔物に捕らえられ、
自身の小さな利益に固執することがいかに醜いかを、
対比という形をとって上手く表現している。
筆者も現在似たような権力の濫用を見るようになっている。
筆者の人間性が問われるときが近いと、いえなくもない。
話が、それた。
人間性によって国家間が動くというような劇的なものでなくとも、
それによって様々な状況が左右されるという事は想像に難くない。
嘉兵衛の場合、元来物事を楽天的にとらえることができたという。
それは、幼少期の悲惨な状況を経た後、
当たり前のことをプラスにとることができたということも一因である。
筆者の場合は、これまでは十分に恵まれてきているようであるが、
それを恵まれていると自覚することからはじめてみようと思うのである。





































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